時間は本当に均等か⁉ う~ん どうだろう。
時間が均等かの考えは
時間には、いろいろな説がある。
まず、このことを理解してから調べてみた。
均等であるのか、計測できるとも質であるとも見方、考え方による。
1時間、、1分、1秒・・・というと今ががあり、今は消滅してしまう。
まるでなぞなぞの世界が広がっていますね。
時間は共通
誰でもが共通して持っているものの中に時間があります。
その時間を共有することでお互いが生きていることがわかります。
1分は誰でも1分、1時間は誰にとっても1時間、1年は誰にとっても1年です。
このことで、待ち合わせをすることができるしレシピ通りに時間をセットすれば、おいしいグラタンも食べられるし、カップラーメンは
のびすぎないで食べられます。
最近では、出来上がり時間を知らせるタイマーなど便利で利用価値のあるものが出ていますね
しかし、やりたくない仕事をしている1時間と大好きな恋人とのデートの1時間では、月とスッポンほどの違いが生まれます。
誰でも経験のある事実だと思いますが。
哲学者のセネカは、こうした時間の混同に対し
「人生そのものが短く考えるのではなく、人生は私たちの使い方次第で、短くなったり長くなったりする。
それゆえ人生を浪費せず有効に使うのが大事だわれわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのだ」
と、時間を有効に活用するための第一歩とセネカは考えた。
時間の有効活用
ならば、どのようにすれば時間を有効に活用しその長さを実感できるのだろうか。
セネカは、仕事の忙しさに振り回されることを避け、時間を自分自身のために使うことが必要だと説いた。
セネカは第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師として有名で、セネカが書いた10の悲劇はシェイクスピアにも影響を与えた。
今回の時間の話はセネカの文庫「人生の短さについて」より抜粋しています。
毎日が忙しく、休みも取らずに身を粉にして、働く人が年をとったところで、長く生きたとはいえない。
そして、こういう人に老いは突然やってきて彼らを面食らわせる。
日々の労働に忙殺されているかぎり、本当になすべき仕事へ向き合うことはできない。
多忙な人ほど人生は短い。
なぜなら彼は主体的に生きたのではなく、ただ存在していたにすぎないから。名誉や財産をもとめて時間を浪費するのではなく本当に取り組むべき問題に対して時間を費やすべきである
とセネカは伝えている。
現代は、時間をどう使おうと、よく言うそれが誰にも迷惑をかけていないかぎり、誰も自由で何をしようとかまわないのです。
他者との関係性のうちで、自分がなすべき事柄をつかみ、それを着実にこなしていけば、人生の短さを嘆くことなく充実した生を送ることができるとセネカはいう。
参考:読まずに死ねない哲学名著(平原卓著)