野に咲く一輪のスミレと数学
日本人
日本は世界に類を見ない「おもてなし」の国です。
東京オリンピックの誘致の時にPR画像で最後に「お・も・て・な・し」と演じて一躍世界に広がったことでしょう。
世界的に「フラワーアレンジメント」がありますが、たいがいは花をたくさん盛って、美しく飾り建てるのが普通ですね。
ところが、たった一輪の花を一輪挿しの花瓶に挿してあり、その花を美しいと感じる日本人の感性には海外の人はなんでと驚くでしょう。
日本人の自然に対する繊細な感受性は、一応に外国人は称賛します。
これは論理ではない、情緒や形と言えると思います。
情緒・形・道
その花には道があり華道となり、お茶をいただくにも、西部劇のようなカップにがぶ飲みするようではない。
ちゃんと道があり茶道というものになります。
もっぱら伝達することに使う「字」についても、書道という芸術にします。
剣道や柔道の「礼にはじまり礼に終わる」各種武道は礼を重視してます。
日本の国技の相撲は、「相撲道」とも言い相撲に命をかける力士をサムライを継ぐ者達として映画にもなっているのです。
国技の武道としては、柔道、剣道、弓道があり、宮内庁から天皇杯を下賜されている
これも、島国という環境の中で、その約70%が山岳地帯であり、その約76%が森林地帯です。
悠久の自然に加えて美しい四季折々があります。
また台風や地震、洪水など1年を通じて自然の脅威も絶えません。
このような自然環境の中で、他国よりも余計に情緒を感じやすいのでしょう。
「無常観」というものを生み出しやすい風土だったことは間違いないです。
北インドから中国を通って日本に来た無常観も、日本人独特の「すべては変わりゆく」というドライに本質を理解
し、弱者へのいたわりとか敗者への涙という情緒を生み出した。
「もののあわれ」
さらにこの無常観は抽象化されていき「もののあわれ」という情緒になったのです。
もののあわれを辞書で引くと
折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。
苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている
日本文学者のドナルド・キーン氏によるとこれは日本人特有の感性だそうです。
野に咲くのスミレが美しいということは論理では説明できない。
モーツアルトが美しいということも論理では説明できない。
しかし、それは現実に美しいのです。
大数学者の岡潔、奈良女子大学の名誉教授をしていて理学博士で有名な数学の天才です。
当時世界3大難問を20年かけて、しかもすべて独力で解決してしまった快挙を成し遂げている。
毎日、数学の研究にとりかかる前に、1時間お経を唱えていたそうです。
その岡教授が1960年に文化勲章を授与されました。
その席上で天皇陛下に「数学とはどういう学問か」と質問された時に「数学とは生命の燃焼です」と答えられたそうです。
そして、数学上の発見に関して西洋人はインスピレーション型で、日本人は情緒型ともお話しされてます。
そのことである新聞記者から「先生がおっしゃる情緒というのは何ですか」と訊かれました。
すると岡先生は「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えられました。
びっくりですね、その可憐さに愛情を感じその美に感動する。
そのことが数学の研究をするうえで重要ということです。
う~ん とうなっちゃいますね。
僕のような凡人には理解はできないですが一輪のスミレを可憐で美しいとは思います
それだけでも救えるような気がします。
日頃、研究開発を携わっている人は頭をフル回転させて寝る間も惜しむように研究に余念がないと思います。
そんな研究者がアイデアが生まれる時は散歩をしている時に出るとよく話をしています。
自然と大気は、人間にとって不可決なものなのですね。
参考:国家の品格(藤原正彦著)