日本の大神 絶滅「ニホンオオカミ」
「ニホンオオカミ」
オオカミの名は「大神」に由来する。
このように、かつてオオカミは神とし
てあがめららえていた。
遺伝的には大陸のオオカミの一種に由
来し、日本へ渡来した時期はかなり古
い時代からと考えられています。
大陸のオオカミに比べて「ニホンオオ
カミ」は、体格が小さく6~7頭の群れ
で生活し狩りをしていました。
かつての日本では、オオカミが人を襲
うことはめったになく、それほど恐ろ
しい動物とは考えられていなかった。
ニホンオオカミは江戸時代から明治の
初め19世紀までは、東北地方から九州
まで広く生息していた。
北海道には、ニホンオオカミとは別の
亜種のエゾオオカミがいた。
今ではニホンオオカミもエゾオオカミ
も、絶滅してしまった。
ニホンオオカミは明治38年(1905年)
に、奈良県吉野郡の山中で捕獲された
若いオスが確実な最後の生息情報です
英国の調査団として日本を訪れていた
アメリカの動物学者、マルコム・アン
ダーソンが奈良県の東吉野村に滞在し
ているときに死体を持ち込まれた。
このオオカミを買い取り、毛皮と骨が
英国へ送られた。
これが現在、大英博物館に保存されて
いる標本となっています。
エゾオオカミの記録は明治29年(189
6年)に、函館の毛皮商によってエゾオ
オカミの毛皮が扱われたというのが最後
の記録です。
山間地ではオオカミをまつる神社もあり
大神は本当に神様だったのです。
そんなオオカミでしたが明治に時代にな
ると一変してしまいます。
西洋では牧畜が盛んで、羊を襲うオオ
カミは害獣だったのです。
「赤ずきんちゃん」や「オオカミと七
匹の子ヤギ」などの童話に描かれてて
いる通りです。
もしかしたら、僕たちもこれらの童話
に刷り込まれてオオカミは怖い、オオ
カミは悪者という考えになってしまっ
たのですね。
このような考えが西洋文明とともに惑
わされたのでしょう。
西洋との交流が盛んなると同時に長崎
に狂犬病が持ち込まれた。
野生のオオカミの間にもだんだん蔓延
していった。
狂犬病にかかったイヌは凶暴になり、
人にも牙をむき噛みつくようになった
が、これはオオカミも同じだったので
す。
狂犬病に噛まれた人間は、狂犬病に感
染し、なす術もなく死んでしまいます
何しろ狂犬病は、医療がすすんだ現代
でも、致死率は100%なのです。
もし噛まれたら、発症前にワクチンを
接種しなければならないのです。
そのオオカミに噛まれて人が次々に死
んでいく姿をみては、当然のことなが
ら。恐怖におののきオオカミを憎むよう
になっていった
こうしてオオカミは全国で駆除されて
いくようになった。
そして、もうひとつ西洋からもたらさ
れたものが、ジステンバーという伝染
病です。
外国から入ってくる新しい病気に対し
て、ニホンオオカミは免疫を持っては
いないのです。
そのため、伝染病の蔓延によりニホン
オオカミは次々に姿を消していったの
ではないかと考えられています。
ニホンオオカミが絶滅したことにより
天敵がいなくなったシカは多くの植物
を食べつくすまで増え続ける。
下草ばかりか原生樹や植樹を食い荒ら
し、自然界に異変をもたらしています
日光ではシラネアオイやニッコウキス
ゲが危機に瀕し、山地ではライチョウ
や小鳥、小動物も激減、さらには各地
で裸地化や土砂流出までもが発生して
いるのです。
イノシシ・ニホンジカ・ニホンザルな
どの野生動物が大繁殖することとなり
人間の生存域にまで進出し、農作物に
留まらず森林や生態系にまで大きな被
害を与えるようになった。
アメリカでは絶滅したオオカミを復活
させたことにより、崩れた生態系を修
復した実例があります。
日本でも、絶滅した頂点捕食者オオカ
ミを再導入して乱れた自然生態系をも
どそうとする人々が出て生きています
日本狼の絶滅から100余年、山の神の
復活と共存するために、何をやるべき
なのか深く考えさせられます。
最後に、人がオオカミに正しく接して
いるならば、襲われることはありません。
参考:Wikipedia、日本オオカミ協会、tenki.jp、