幸せに生きるための四つの食事
幸せになるよろこび
満足するとは
満足するとは喜びを得ること、幸せを感ずることと仏教では説いてます。
幸せとは何かを聞くと、たいがいは「お金」と答えが返ってきます。
そりゃー誰しもお金がなければ、生きてはいけないことは確かですし、たくさんあれば、綺麗なかっこも、素晴しい住居も、車も持てますね。
お金はまるで、スマホのバッテリーのように、バッテリー容量が少ないと表示されると心配になり、不安がつのるのと同じように、たくさんの蓄えが欲しくなります。
もっと、もっと、と際限なく人間の欲望は尽きることはありません。
「たとえ、黄金の雨を降らせて、山のように積んでも満足しない」といいます。
事実、まだ記憶の新しいことでは、N自動車会社の元CEOだったカルロス・ゴーンという人は一体何だったのか
5年間で約50億円の報酬を隠し、その上、投資資金の不正流用や経費の不正な使用をして告発され逮捕された。
そして、姑息な手段で、音楽機材のケースに隠れて海外へ逃亡したのでした。
そのゴーンはM自動車やルノーからも報酬を受け取っていて、年俸は合算で20億円を超えていたといわれてます。
こんな大金を持っていても、それでも、不正使用したお金が数億円、数十億円もあったという話を聞くと、私たち一般庶民から見て、なんなんだという事になりますね。
それだけもらっても幸せではないという事ですね。
お金だけでは、幸せにはなれないということですね、むしろ、自分を苦しめることになり、災いを招く結果なのかもしれません。
仏教の言葉に「四食(しじき)」という教えがあります。
- 段食(だんじき):食べない断食ではなく、普通の食事のこと。
- 触食(そくじき):いろいろなものの触れ合いが、生きる栄養になること。
- 意思食(いしじき):「〇〇しよう」という意思。人を活かす栄養となる。
- 識食(しきじき):見たり、聞いたり、味わったり、嗅いだり、触ったり、考えること。
です。
そして、これは、四つの段階を示し、ひとつが満たされると次の欲求が起きてくると教えられてます。
1.の段食は、食うや食わずの生活だったら、どうやって食べていこうかと生活だけを考える。
そして、それが満足すると。
2.の触食に入り、他人から自分の存在を認めてもらいたいと切に思うようになる。
多くの人が地位や名誉や財産を求めるのも、他人から認めてもらいたいからであって、そのために頑張る。
そして、それを満たすと
3.の 意思食 で、自分の人生を思うように生きたいという欲求が起きてきます。しかし、これは触食を満たさなければできないことです。
これまで、人に認められるように努力してきたのですが、それでも満たされない自分に、心が満たされるような生き方を望むようになり、これが最後の段階の4.識食と言われるものです。
そして、心が満たされる為には、自分の心を不安にさせる悪を止めて、自分の心を幸せにする善をやってゆくしかないと知らされます。
よく言われますが、人はひとりでは生きてはいけません。さまざまな出会い、触れ合いが必要ですね。
「今、ここにはない何か」「今、ここではないどこか」を求める「もっと、もっと」の彷徨いをを捨てて、「今、ここにあるごく普通の物や人」に満足し、感謝して心温かくいられることが、最高の幸福。
参考:仏教心理学、浄土真宗、ほとけさまと心が温まるお話(岡本一志著)、ブッダの言葉(小池龍之介編訳)