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我慢するは仏語でうぬぼれのこと

我慢は仏語

デパートのおもちゃ売り場の前で幼児がそこから離れず「あれが欲しい」としゃがみこんでしまう場面をよくみますね。お母さんは、うんざりした顔をして「今度買ってあげるから、我慢しなさい。」となだめるしかないですね。

日常よく見る風景です。

我慢

この「我慢」ですが、「辛さをこらえて耐え忍ぶ」という意味で「辛抱」すると同じことです。

この「我慢」はもともとは仏語で江戸時代の初期までは「強く自負すること。あるいは、慢心し高ぶる」こととあり、これが本来の意味です。

仏典には「我慢とは、踞傲(きょごう)を謂(い)う。執(しゅう)する所の我を恃(たの)み、心をして高く挙がらしむ、故に我慢と名づく」とあり

すなわち、自分の力を過信して、思いあがることをいう。

慢は、根本煩悩の一つとして、もろもろの煩悩の出発点で7種類あり「七慢」と呼ばれています。

  • (まん)うぬぼれ。自分を上に見て、相手を見くだす。
  • 過慢(かまん):同程度の相手なのに自分の方が上だと思う心。
  • 慢過慢(まんかまん):自分より優れている相手に対して素直に認めず自分の方が優れていると思う心。
  • 我慢(がまん):自分の考えを押し通そうとする心。意地やプライド。
  • 増上慢(ぞうじょうまん):悟りを開いていないのに、悟りを開いたとうぬぼれの心。
  • 卑下慢(ひげまん):深々と頭を下げることで、どうだこんなに頭の低いものはいないだろうとうぬぼれる心。
  • 邪慢(じゃまん):本来なら恥ずべきことを自慢する心。

イソップ物語を訳した17世紀の「伊曽保物語」にも「我慢」が出てきます。

(旧解釈の我慢です)

いのししの子どもが数多くいる中に、とりわけ小さないのししの子が、「我慢」の心をおこして「仲間の頭になってやろう」と考えた。
だが、歯を食いしばり、目を怒らせて威嚇してみても、誰からも相手にされない。
そこで、羊の群れに入って、同じようにふるまってみると、羊たちはみな恐れをなして、逃げたり隠れたりした。
してやったりと得意顔のところへ、一匹の狼が走ってきた。「自分はここの主人だから、あいつもきっと恐れるだろう」と知らぬふりをしていると、狼はさっと猪に飛びかかって、山中に引きずっていった。
子分のはずの羊たちは全く助けようとはしない。わめき叫んでいると、その声を聞きつけたいのししの仲間たちが押し寄せて、危ういところを救出された。

引用:仏教漢語50話(興膳宏著)
いのしし

この教訓は

「そのごとく、人の世にある事も、よしなき慢気をおこして、ひとを従へたく思はば、かへってわざわひを招くものなり」とあり、いったん我慢の心をおこせば、あくまで意地を張ってそれを守ろうとする。そこに、「忍耐」や「強情」などと結びつく機縁が生まれる。ということです。

落語の世界にも登場

友人が灸を据えてきたと話すのを聞いて、負けん気で山のようなモグサを腕に乗せ火をつけた。
はじめは「なんだこんなもの。石川五右衛門て人は、釜ん中ィ油がグラグラ煮え立っている中へ飛びこんで、ニコッと笑って辞世を詠んで流よ」などと大口をたたいていたが、猛烈な熱さに我慢できなくなり、モグサを払い落とすと、「石川五右衛門も、さぞ熱かったろうな」

「強情灸」より強情と我慢は縁続きですね。

参考:仏教漢語50話(興膳宏著)

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