人生の短さについて 本当に大事なものは
時間というものは
「少年老い易く学成りがたし」という一句は、あまりにも有名ですね。
中国の南宋の思想家、朱熹(朱子)の作とされる漢詩で、月日が経つのは早いが、学問を治めるのは難しい
わずかな時間も無駄にせず、学問に励むべし。
と儒学の一派、朱子学をうちたてた朱熹の学問に対する思いが現れていることばです。
第五代ローマ帝国皇帝ネロの家庭教師として知られるセネカは、朱熹とは時代が違うが、政治と文芸で活躍した思想家です。ネロのブレーンとして活躍したものの、暴君ネロによって自殺を命じられた。
哲学者セネカの時間
そのセネカは、「人生の短さ」について考えを述べている。
哲学的には、時間についてはさまざまな説があり、均等で計算できる量であるという見方もあれば、純粋な質であるという見方もある。
私たちは、誰もが平等に時間を共有することで生きています。
1秒は誰にとっても1秒で、1時間は誰にとっても1時間です。また、1年は誰にとっても1年です。
世界的にこの共通性があるので、約束する事ができるし、約束の間に合うことができる。
カップラーメンも時間通りに伸び過ぎずにおいしく食べることができる。
しかし、同じ時間を共有していても、自分の欲望に意味づけされるケースを持っている
気のすすまない仕事の1時間と恋人とのデートの1時間では、同じ時間の長さですが、それがどのようにその人にとって生かされているかに目を向けると、月とスッポンほどの違いがある。
セネカの議論も、このような時間の混同に対して向けられている。
セネカは下記のことに気づくことが、時間を有効に活用するための第一歩だと考えています。
- 人生そのものが短いと考えるのは間違っている。
- 人生は、私たちの使い方次第で、短くなったり長くなったりする。
- それゆえ人生を浪費せず有効に使うのが大事だ。
- 我々は短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。
時間の有効活用
ならば一体どのようにすれば時間を有効活用する事ができるのでしょうか
セネカは、仕事仕事と追われることを避け、時間を自分のためにつかうことが必要だと説く。
「多忙な人が年をとったところで、長く生きたとはいえない。
哲学者 セネカ
彼はただ「あっただけ」で、ちょうど嵐のなかで同じ海域をぐるぐる引き回されている船と同様、長く翻弄されている状態だ。
そして、こういう人の老いは突然やってきて、彼らを面狂わせるのだ」
「日々の仕事での忙殺を繰り返しているかぎり、本当にするべき仕事に向き合うことはできない」
といってます。
たしかに、普通のビジネスマンもその中で葛藤を繰り返していることが多いです。
日常のルーティーンや定期ミーティング、上司からの資料作り、雑務等々に追われて、なかなかやるべき仕事まで手が回らない状況です。
多忙な人ほど人生は短い。なぜならば彼は主体的に生きたのではなく、ただ存在していたにすぎないから。
名誉や財産を求めて時間を浪費するのではなく、本当に取り組むべき問題に対して時間を費やすべきであると説教をしています。
現代では、時間をどのように使おうが、他人の権利を侵害しないかぎりは自由です。
他人との関係性のうちで、自分が何をなすべきなのかの事柄をつかみ、それを着実にこなしていくことで、人生の短さを嘆くことはなくなり、充実した生活を送ることができるということです。
人生は忙しいという事が決してよいのではなく、自分にとって大事なやらねばならないことをやっていきましょう。
参考:日本語どうでしょう、読まずに死ねない哲学名著(平原卓著)