観音様の変化したお姿の千手観音とは
千手観音は正式には「千手千眼観音・せんじゅせんげんかんのん」といいます。
千手観音は観音菩薩が変化したお姿のひとつで、とても印象深いので一目見て記憶に残りますね。
観音様
よくいう観音様は、正しくは「観世音菩薩・かんぜおんぼさつ」とも「観自在菩薩・かんじざいぼさつ」とも呼び、
人々の苦しみを除いたりお願いごとを聞いたりしてくれる慈悲深い仏様のことを指します。
この観世音菩薩・観自在菩薩のいずれの名に「観」に中心が置かれている。
観音様は何を観察していたのでしょうか。
わたしは千手観音に千の手があるように、千の眼があることを知りませんでした。
また、千手観音は「十一面千手千眼観音」と呼ばれることも多く、この十一面は11個の面(つら:顔のこと)をもっていることです。
観音様の種類の中でも十一面観音はもっとも古いとされる観音様で、その十一面観音に千本の腕をつけたのが千手観音です。
千手観音は仏の手が6本とか8本でも千手観音と呼び、普通は42本しかありません。
しかし実際に手の数が千本ある千手観音もあります。
- 葛井寺(大阪府藤井寺市)
- 唐招提寺(奈良市)
- 寿宝寺(京都府京田辺市)
- 妙楽寺(福井県小浜市)
- 達磨寺(奈良県王寺町)
- 神照寺(滋賀県長浜市)
- 飯盛寺(福井県小浜市)
などです。
葛井寺(大阪府藤井寺市)
く
葛井寺は、戦国期の兵火や地震によって荒廃してしまうが、西国三十三所の第五番札所として、織田氏や豊臣氏ら諸侯と庶民の信仰篤いことから、諸所修復がなされ、以降も必要が生じるたびに整備されて、今に至っている。
その葛井寺の本尊は、『十一面千手千眼観世音菩薩坐像』です。
仏師の春日親子が造立し、725年に聖武天皇の臨席のもと、行基菩薩が開眼した日本最古の千手観音像として知られる。大半の千手観音像は42本の手を持つが、葛井寺の座像は文字通り1000本(正確には1041本)の手を有し、各掌には眼が描かれた不世出の力作であり、国宝に指定されている。引用:葛井寺
この千手観音像に関係して、次のような話が伝わっている。
時は平安の頃、藤が満開の時期に同寺を参拝した花山法皇(968~1008)が、本尊の千手観音像の前で「参るより頼みをかくる葛井寺」と上の句を詠じられると、本尊の観音様がそれに感応され、紫の雲の如くに咲き誇る自由悠遊な藤の花に合わせて、眉間からゆらりゆらりと紫の雲がたなびき出た。
雲が聖武天皇寄贈の石灯篭まで届くのを見た花山法皇は、すばやく下の句「花のうてなに紫の雲」とご詠歌を奉納したとされている。ご詠歌には、「お参りし、お願いをする事で、観音様に通じ願いがかなえられる」という意味が込められている。
引用:葛井寺
葛井寺の山号が「紫雲山」と言うのは、この神秘的な故事にちなんでいる。そして今も境内にはたくさんの藤棚がある。
観音様は音を聞くのではない。音を観るのです。
音を観察し、あらゆる苦悩をも見すえる眼の持ち主なのです。
千手観音はたくさんの持物(仏像が手に持っている物のこと)を持っているけど、それでも、多くの手には何も持物を捧げていない。
その多くの掌(てのひら)には眼が描かれていた。
観音様は凡庸な人間の姿を観察し、迷える人間のそばで、ともに悩み、共に生活しすべての人間の一挙手一投足を観つづけているのです。
すべてを冷静に観、眼をそらせることなく見て照らしつづけている、いわば観照している、有り難い観音様です。
修復した際に、1041本の手のあるこの仏像の1本1本の手に印をつけていたのに、いざ入れてみるとどうしても1本だけ余ってしまい、やっとのことで最後の1本を納めたという。
さぞかし、観音様はかすかな笑みを浮かべ、見続けていたのでしょうね。