意外と長い縄文人の寿命と食べ物
縄文時代の人々は生活環境や医学の未発達で縄文人寿命は30歳説が多いです。
この縄文人30歳説は、1967年のデータで貝塚などから出土した人骨を調べて年齢推定を行い平均死亡年齢が男性で31.1歳、女性は31.3歳となりました。
ところが、2010年に聖マリアンナ医科大学の長岡朋人講師が「出土人骨の推定年齢から、65際以上が全体の30%以上を占める」と公表されたのです。
この研究は、蝦島貝塚(岩手県)、祇園原貝塚(千葉県)など9遺跡から出土した人骨を前回の研究とは異なる腸骨耳状面(ちょうこつじじょうめん)という研究で、細かな年齢推定が可能な腰骨の調査・観察によるものでした。
縄文人の主食は、雑穀や野菜、果物、木の実だった。感染症などを生き抜いてきた縄文人たちは、想像以上に長寿だったのかもしれないです。
縄文人は主食の次に多く食べていたのが魚です。モリと釣り針を使って主に近海魚のサバ、ブリ、イワシ、スズキ、鯛、ヒラメ、そしてフグまでとっていたようです。
モリヤ釣り針は現代の物とほとんど変わらず精巧にできていて、イカやウニも食べていた。
しかし、フグの毒を抜く技術を持っていたのでしょうか、すごい技術力です。
このころ、大陸では食用の牛、豚、アヒルなどの飼育がすでに始まっていました。日本ではその広がりはなかったのは、漁場が豊富で十分に満たされていたのでしょう、動物を育てて肉類を食べる必要がなかったのです。
三内丸山遺跡から出土した縄文人の食料の中には、クルミの殻や鴨の骨、鯛やサメの骨までみつかっています。
サメまで食べていたとは食欲も旺盛なら食べることの大事さや、食べるまでの努力は素晴らしいです。
ただ、食欲に任せて採取していただけでなく、栗の木を管理したり、幼い獣は捕まえないなど知恵を働かせていたのです。
モース貝塚・大森貝塚
「モース貝塚」とも呼ばれている東京都・品川区・大田区にある大森貝塚は、縄文時代の後期、末期の有名な貝塚です。
アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、1877年(明治10年)横浜から新橋に向かう途中、大森駅を過ぎて崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、政府の許可を得て発掘調査を行い助手ら3人とともに土器、骨器、獣骨を発見した。
この発掘は日本初の学術的発掘であり、このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
骨格から推定すると縄文人は頭が大きく、顔の幅が広く、眉の上が出っ張っていて、鼻は鼻筋が通って高く、幅が広かったようです。青森の三内丸山遺跡での発掘調査によれば、当時の大人の身長は男性が157センチ、女性が147センチくらいで、骨太で筋肉が発達し、がっしりしていました。
また、意外なことに縄文人は虫歯が多かったようです。とくに北海道などの寒冷地は少ないのですが、それに比べると本州の縄文人はその7、8倍にのぼりました。
縄文人のことを読んでいかがでしたか、想像よりも食材は多種にわたってあり、木の実など植物を主食にしているので、病気になりにくかったのではないかなと推察できますね。
骨がしっかりしていて身長も高いし長寿もうなずけます。
参考:BESTTIMS、Wikipedia、酵素の謎(鶴見隆史著)