猿山と動物園・・その1
猿山は動物園の人気者
1931年10月に東京の上野動物園に、これまで
オリの中で飼育していたニホンザルを山水画から飛
び出たような異様な光景のコンクリートで作った岩
山に、群れのままで展示することになった。
およそ90年前の話ですが、今も建設当時とほぼ同じ状態で運営されている。
広さは約550平方メートル猿の行動範囲を考えると決して広くはないそうです。
敷地内にそびえたつ岩山の高低差は約11メートルで切り立った斜面の起伏が敷地の狭さを補っている。
見本は欧州のヒヒ山で、19世紀ごろから欧州の動物園ではこのヒヒ山が次々に建築されていた。
これを日本風にアレンジをして日本のサル山を造った
上野動物園のサル山は、千葉県の房総半島・富津市の高宕山(たかごやま)や鋸山の岩山をモデルにして造られました。
今でもニホンザルたちが当たり前のようにのんびりとした生活を送っています。
野生のサルたちの生態がそのまま動物園で見れる施設が誕生した。
若いサルたちが高い所に上がって見張り役に立つ。
ケンカに負け、追われた弱いサルが逃げ込む事ができるくぼみもちゃんと用意してあります。
かつてのオリに閉じ込められていたサルたちは生き生きと動き回るようになった。
完成当時はニホンザルの群れを展示する予定でしたが群れでの入手がむずかしく、やむなく、ニホンザル、タイワンザル、カニクイザル、アカゲザルの4種をまぜこぜにして展示を始めました。
猿山の擬岩の周りには、脱走防止のための濠がめぐらされ、水に囲まれていた。このため、水面に浮かぶ様子から「猿ヶ島」と呼ばれていた。
サルはどの種も社会的な地位が成立し、群れが安定しますが、4種まぜこぜにされたこの群れは「烏合の衆」となりました。
体格の差などもあり、小さなカニクイザルは、ケンカして追いつめられ濠に飛び込みおぼれてしまい。
身軽なアカゲザルは濠を飛び越え園外に脱出してしまう
事が多発しました。
このまぜこぜ展示は廃止し、ニホンザルを17頭を群れとして導入し、展示は安定しました。
サル山はその後、3度の大改修をして、濠を埋められ、塀の高さを上げて、プールを増築したりしました。
高宕山をモデルにした擬岩の山は、そのまま姿を変えずに今でもニホンザルたちの住処として歴史を刻んでいます。
上野動物園のサル山は、画期的な試みだったのです。
上野動物園でニホンザルの飼育担当だった人は、
「サル山は群れ全体を観察することができる。
だからニホンザルの社会そのものを見ることができるんです」
と教えてくれました。
さらに、まるで人間社会の縮図を見ているようですと
- 空威張りする者
- 自分より強い者におもねる者
- それを横目で見ながら無視を決め込む者
などと飼育担当だった人は話しながら笑いがこぼれます。
日本で一番歴史のある動物園のサル山はよく見に行きました。
ずっと見ていても飽きずに時にはエサを投げて遊んでました。
また、行きたくなりました。
参考:東京ズーネット、読売新聞