鮭 ふるさとに戻る壮絶な旅路
鮭(サケ)のふるさとと旅路
鮭(サケ)は、生まれた川へ、育った川へふるさとの川へと戻ってくると言われている
いわゆる、高い母川回帰性を持っている母川回帰性とは、川で生まれた魚が海に下り一定期間を得て同じ河川にもどることをいう。
遡上(そじょう)する川を母川(母支流)といいサケ・マス類の母川回帰がもっとも有名です。
母川で有名なのは、石狩川、豊平川です。
そのサケの稚魚は日中に群れで川を下りやがて外洋で旅を続ける。
日本の川で生まれたサケは、千島列島沿岸やオホーツク海沿岸からアリューシャン列島、ベーリング海沿岸へ進みそこからさらにアラスカ湾を旅する。
ふたたび、オホーツク海に戻り北部太平洋を回遊する生活を成熟まで繰り返す。
大海原を移動しながら暮らすサケの生態はすべてが解明されているわけではなく謎に包まれている。
海洋生活で成熟したサケが遡上ししてくる個体は4年目が多いことから成熟して大人になったサケたちが生まれた場所を目指して最後の旅に出ると考えられている。
サケの壮絶な旅
生まれ育ったふるさとの川を旅たち、再びふるさとに戻ってくるまでの行程は、なんと1万6000キロメートルにも及ぶという
なんと地球の円周の半分近くにもなる距離でその旅は危険に満ちた壮絶なものだったと思われます。
サケたちがふるさとの川を目指してなぜだろうか、人間も、歳を重ねるとふるさとが恋しくなると言います。
サケたちはふるさとの川に遡上して卵を産み、新しい命を宿すと、死んでゆく宿命にある。
このふるさとへの出発は死への旅たちでもあるのに、なぜ危険を冒してまで故郷を目指すのだろうか。
卵はどこの川でも産めるのに不思議ですねこの謎は、いまだに解明されてはいません
サケの進化
魚類も他の生物の進化と同じように多種多様な進化を遂げている。
海洋を住みかとしていた魚類も弱肉強食の世界となり、弱い魚は汽水域と呼ばれる海水と淡水が混ざる河口へと移り住んだ。
さらに、追われる立場になり塩分濃度の低い川へと生息地を見つけていった。
しかし、こうした淡水魚たちの中でも再び広い海に向かって生息することを選んだのがサケやマスなどのサケ科の仲間でした。
しかし海は危険に満ちた場所であることは変わっていません。
海に卵を産んでも、恐ろしい魚の餌食になるだけです。
そのため、サケは生存率を高めるために自らの危険なことを承知で川に戻るのです。
よく、自分のふるさとの川がわかりますね
一説には川の水のにおいで、ふるさとの川がわかると言われてますが、海と川の距離を考えたら、そうなのかと考えてしまいます。
他にも、電位説、フェロモン説、星座コンパス説などがあげられている。
長い旅の果てにたどり着いた、ふるさとの河口だが安心はできない。
海水で過ごしてきたサケたちは塩分の少ない川の水は危険なもので、しばらくは川の水に慣れるために河口付近で過ごすようになる。
このときに、サケは姿を変えます。
体は美しく光沢し、赤い線が浮かび上がり鮮やかに変身します。
オスは背中が盛り上がり筋肉隆々で下あごは曲がって男らしい姿になる。
メスは体全体が、美しく丸みを帯びて人間の女性なら美しい魅力的な姿です。
いずれもこれから目指す最後の旅立ちの儀式のようです。
いよいよサケたちは群れをなして川へ進入します。
サケの遡上
前途多難な旅の始まりです。
サケたちは河口で漁師たちの網を打つのをかいくぐらなければなりません。
かいくぐったとかと思うと、熊の爪が水中へと襲いかかってきます。
川を上りきる前に命を落とすサケも多いのです。
さらに先に進むと上流にたどり着くのは昔の話で、現在では、川の水量調節のためや土砂流出を防ぐために堰(せき)やダムなどの人工物が河川のあらゆる場所に作られている。
それにより、サケの進路を阻んでしまうがサケたちはジャンプを何度も繰り返しサケたちは挑戦をやめない。
しかし巨大なコンクリートの壁に阻まれて多くのサケはここで力尽き、ふるさとを見ることなく志半ばで死んでしまう。
上流に進むと川は浅くなり、今度はごつごつした川底の石が行く手を邪魔にする。
それでもサケたちは体を左右にゆすりながら必死に川を上っていく。
何が、がむしゃらにそうするのだろう。それでもサケは川を上っていく。
ひれも尾もぼろぼろになっても少しずつ確実に上流を目指していく。
サケたちは河口から川に進入した時からエサを獲ることはない。
どんなに疲れようが、どんなに腹が減ろうが、ただ上流を目指して、何かにとりつかれたように、ただ、ひたすらに上流を目指し続ける。
そして、ついに生まれ育ったふるさとのにおいをかぎ、上流にたどり着く。
サケたちは、そこでお互いのパートナーを見つけ最後の力をふりしぼって、この瞬間この時のために長く苦しい旅を続けて卵を残す。
こうしてサケのオスは死へのカウントダウンを始め命は尽きていく。
卵を産んだメスは、しばらくの間、卵に覆いかぶさって卵を守る。
だが、やがて、力尽き果てて横たわる。生まれて育ったふるさとの川に戻り生命ある限りの行為を後世に残しつつ生涯を終えるのです。
季節はめぐり、春とともに産み落とされた卵たちはかえり、新しい生命の息吹が映し出される。
川の上流は本来子供たちのエサになるプランクトンは少ない。
ところが、不思議なことにサケが生んだ場所にはプランクトンが豊富に湧き上がるという。
それは、息絶えたサケたちの死骸が多くの生き物のエサとなり、分解された有機物がプランクトンを発生するのです。
このプランクトンが、か弱い稚魚たちのエサとなるのです。
まさに、親のサケたちが子供たちに残した愛情のたまものです。
父もその父も、母もその母も誰もが経験をしてきたこの旅は永遠と受け継がれていくことでしょう。
現代社会ではサケたちが直面する現実は厳しすぎます。
堰やダムによる川と海は分断されている
人はサケが大好きでよく食べるし、卵まで好んで食べる。
したがって、人工的に孵化されて川に放流され命がつながっているのが現状です
厳しい現実は、自らの力では卵を産むこともふるさとの川で死ぬことも果たせな
い遠い夢となってしまった。
参考:Wikipedia、コトバンク、生き物の死にざま(稲垣栄洋著)