初心忘るべからず 真意は
誰もが知っている、名言
「初心忘るべからず」
一般的には「なにごとも初めて行う時に志を立てる」その志した初心を忘れてはいけないということ。
「仕事や物事に慣れてくると、俺はできるんだ、誰と比べてもすごいんだ、すべて知っている」など、つい慢心してしまうものです。
「初心忘るべからず」この言葉は、約650年前能を大成した世阿弥(ぜあみ)が編み出した言葉です。
世阿弥とは
1363年~1443年 父の観阿弥とともに当時の申楽(猿楽。現代の能、歌舞伎の祖形)を大成した。
生涯を通して、どのような能が感動を呼ぶのか探求し今日まで続く能の基礎を作った天才といえる。
世阿弥は能の台本をつくることを大切にし、中でも人間の心理を深く描きだすことのできる「無限能」(むげんのう)という劇形式を完成させた。
世阿弥は能の作品を作り、それを演じただけでなく自らの体験をもとに、すぐれた能楽論を残した。
世阿弥の伝書は秘伝として世に出ることなく所蔵された20世紀にはいり、歴史学者の吉田東吾が「世阿弥十六
部集」を出版され、その後研究が進み現在では世阿弥の伝書として21種が認められている。
世阿弥の名言
その世阿弥からは、多くの珠玉の言葉が発せられています。
- 初心忘るべからず
- 男時・女時
- 時節感当
- 衆人愛敬
- 離見の見
- 家、家にあらず。継ぐをもて家とす
- 稽古は強かれ、常識はなかれ
- 時に用ゆるをもて花と知るべし
- 年々去来の花を忘るべからず
- 秘すれば花
- 住するところなきを、まず花と知るべし
- よき却の住して、悪き却になる所を用心すべし
など代表的なものです。
今回は、「初心忘るべからず」を掘り下げてみます。
世阿弥のこの名言はもっと複雑で繊細な意味のようです。
世阿弥が晩年60歳を過ぎて書き記した「花鏡」の結びの中で
一、是非初心忘るべからず
一、時々の初心忘るべからず
一、老後の初心忘るべからず
と書かれています。
このように世阿弥は、
- 「若い時の初心」
- 「人生時々の初心」
- 「老後の初心」
と三つの初心を著しています。
一、是非初心忘るべからず
若い時の失敗したみにくさや、未熟さを思い出しみじめさを忘れず精進する事で芸も向上する。
一、時々の初心忘るべからず
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを「時々の初心」という。
その時々に合った演じ方をし、その演じたものを忘れずに身につけておけば、年月を経てすべてに味が出てくるもの。
一、老後の初心忘るべからず
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」という。
老後に「これでいい」と言う事はなく、その都度、初めて習う気持ちで芸の向上に目指しなさい。
と説いています。
改めて自分の未熟さに気づいて、先輩や師匠に教わり、自分を磨き上げなければ「ほんとの花」にはならない。
若いころに、周りからいい気にさせられて、有頂天になってしまうと、そこで何もかもが止まってしまいます。
現代社会でも、歳に関係なく新しいステージにぶつかります。
どんな、事態でも挑戦していく心構え、姿勢が大事ですね。
「初心忘るべからず」を肝に銘じましょう。
参考:NHK・View,ShareWis,世阿弥の言葉、サライ、文化デジタルライブラリー、