仏像の本家本元の釈迦如来像
- 美しい流れるような優美な仏像
- どっしりとした姿の仏像
- しなやかな、なよなよとした仏像
- 立ちすがたのキリっとした仏像
- 宝石で光り輝く仏像
- 千本の手を持っている仏像
などなど・・・
国宝の仏像は全国で128体で特に多いのは奈良県で71体の国宝があります。
特に仏教に関心がない人でも仏像に対面すると心が洗われるような気持になりますね。
別に悪いことをしたわけでもないのに「正直に生きなきゃだめだな」とか、「悪いことはできないな」なんて思うのは自分だけでしょうか。
たくさんの仏像が造られ、姿かたちもバリーションがあり座像だったり立像だったり、手に物を持っていたりしています。
世界で最初の仏像は、紀元1世紀にインドでつくられた「釈迦如来」像です。
仏教の祖、釈迦のすべてを仏像に写したものです。
お釈迦様の生涯
お釈迦様は、はっきりとした年代は、わかっていませんが今から約2600年前の4月8日に生誕されたと伝えられています。
シャーキヤ(釈迦)族の国王である父・シュッドーダナと、母・マーヤーの間に生まれた王子です。
生誕の地は、北インドで現在のネパール南部といわれています。
お釈迦様は、母・マーヤーを誕生から7日後に亡くしています。
16歳のときには、隣国の王女・ヤショーダラ姫と結婚。
19歳のときに第一子となる息子ラーフラが誕生しました。
人を生きる苦しみから解放する悟りを得たいと考えたお釈迦様は、29歳のときに妻と息子を城に置いて出家します
6年間苦行を継続したものの、なかなか悟りを開けず、菩提樹の下で瞑想をするようになります。
やがて、12月8日についに悟りを開いたのです。
このとき、お釈迦様は35歳になっていました。
お釈迦様は80歳で亡くなるまでの約45年間、仏教の開祖として人々に教えを説き続けたのです。
おおもとの釈迦如来像
それは釈迦如来像が、あらゆる仏像の本家本元だということです。
釈迦如来はほとんどが座禅をくんで、両手には何も持たずに、きらびやかな装飾品や頭にも冠などはつけていない。
たった1枚の衣だけを身につけているだけです。
しかも、右肩を出して着る着方で、この着方のことを「偏袒右肩・へんだんうけん」という。
この着方は、右肩を出すのは敬意を表し、目上の人に会って、うやうやしく礼拝するときの姿を表しているのです
また、右手が利き手である人が多いので、右手を露にする事は、攻撃しないことを示すものとして礼法となったという説もあります。
お釈迦様に拝まれている
じつは、次のことを知っている人は、少ないのではないかと思います。
この先を読むと次からの仏像への、お参りに気持ちが変わるはずです。
だれしも、お釈迦様を拝むときにはお釈迦様を尊いものだと信じきって心を落ち着かせて合掌します。
すると、釈迦如来は合掌してくれた人に対しこのようにおっしゃいます。
「私を尊くおもって、合掌してくれてありがとう。でも、尊いのは私ではないのです。
ほんとうにこの世で大事なものは仏像ではありません」
そして、つづけます
「人として一生を送っていくときに尊ばなくてはならないものは、あなた自身のいのちなのです。
あなたの頭から、手の先、足の先までを毎日、とどこおりなく働かせてくれている、あなた自身の「いのち」の力そのものなのです」
・・・・・と。
仏像の基本は「回光」です。
回光とは、光を回転することで向こう
からやってきた光をぐるりと方向転換してもとへ、もどしてやること。
こちらで「尊いお釈迦さま」と合掌すると「いや、尊いのは、あなたのいのちですよ」と尊さを転換してくれるのです。
「あなたのいのちの働きのほうが、わたし(釈迦)より、もっと、もっと、尊い。だからこそ「 偏袒右肩 」の姿を示されている。
釈迦像は、自分より拝んでいるあなたが目上で尊い人だと説法しているのです。
あなたが、釈迦に拝まれている。
たとええ苦しみのどん底にいても、あなたは釈迦に拝まれている。
いかがですか、少し考えが変わったのではないでしょうか。
参考:手ぶら人生(堺野勝悟著)