三つ忘れることが大事というお布施とは
昨今、霊感商法という多額の寄付や、品物を販売していることが話題になっています。
そもそも、人に与える行為は仏教から来ている「布施」にあたります。
仏教の中の、「四摂法・ししょうぼう」という原始仏教以来たいへん重要視されてきた徳目です。
「摂」は引き寄せるという意味で、「衆生・しゅじょう」(すべての生き物)を救済する四つの手段ということになります。
「四摂法」
- 布施(ふせ)施し与えること。
- 愛語(あいご)慈愛に満ちたことばを使うこと。
- 利行(りぎょう)他社のために尽くすこと。
- 同事(どうじ)人の気持ちになること
ということで、この四つのことは、仏、菩薩が衆生を導くための方法と言われています。
私たちの日常に十分生かせるし、生かさなければいけない徳目でもありますね。
この「四摂法」の中でも、布施は一番目に掲げられているほど極めて重要なことになります。
私たちが布施というと「何か布施をしたらたくさんのご利益が返ってくる」と理解している人が多いようです。
本来の布施は、豊かな人が貧しい人に金銭や財物を恵み与えることではありません。
私たち人間の心の中にある「惜しい」「ほしい」「もったいない」という欲や執着心、貪りの心を捨てる行為なのです。
「布施」
捨てることと布施は、表裏一体の関係であり、自分の欲や執着心を人に向かって捨てさせていただく行為が布施です。
ですから、布施をするものは金銭や物質的な価値ではかられるべきではなく、惜しいと思うもの、執着するものを喜捨することが望ましいことです。
したがって、布施を受け取ってくれる相手に対して「捨てさせていただきありがとうございます」の感謝の気持ちを持つことです。
仏事などで布施を受けるお坊さんは、私たちの欲を捨てさせてくれて、功徳の種をまかせてくれる福なる田んぼとして「福田・ふくでん」と呼ばれれます。
布施を受け取る側は、布施する人が欲や執着を捨てる受け皿ですから、「儲かった」とか「もう少し弾んでくれればいいのに」などという思いを抱いてはいけません。同じ執着や欲のない心で受け取るのです。
この欲や執着の心から脱却して清浄な気持ちで、何者にもこだわらない「空寂・くうじゃく」の心で布施をする側も、受ける側も受けなければいけないのです。
「ダーナ」
布施のことをサンスクリット語で「ダーナ」といいます、施者のことは「ダーナパティ」といい、これが「旦那」と呼ぶようになりました。さらに、ここから菩提寺に布施する家のことを「檀家」というようになったのです。
私たちはついつい、人のためにしたことや、親切にしたりすると「感謝してほしい」という気持ちが出てきます。
決してそう思ってやったことでなくても、どこかで見返りを期待してしまう自分がいます。
とかく人は案外、人からしてもらったことはすぐに忘れるくせに、自分がしてあげたことはいつまでも覚えているものです。
お釈迦様は布施の心掛けにこんなことを言ってます。
「三輪空」
三輪を空ぜよ。三つのことを忘れるようにしなさい。
- 施者:布施をする人(私が)
- 受者:布施を受ける人(誰々に)
- 施物:布施をする物(何々を)
私が、誰々に、何々してやった。
この三つの心を忘れるようにしなさいと教えられています。
いつまでもこのことを忘れずにいると、「〜してやったのに」と恩着せがましくなり、やがて腹がたち苦しむからです。
現代のように、物が豊富な時代ではなく、どこの家も必死に働いている昔は、味噌や米を貸してくれとか隣近所で貸し借りは当たり前のようでした。
それでも、見返りを求めることなく、皆仲良く生活をしていたことを思い出します。
また、助け合いながら暮らしていた時代には、大人たちからそんな考え方を教わっていたような気がします。
こんな態度を学んで ”気持ちも心も爽やかに” 生きましょう。
参考:モチラボ、ブッダの法則(田中治郎著)